かぶとむしと恐怖のもや

夏休みの出来事。

夏休みの宿題は一日に1ページやるというのはとても面倒なイベントだった。夏休み帳の全体の総量、全体の薄さを見ると夏休みのさいごの三日間で仕上げるほうが簡単そうに思えて、宿題地獄の三日間を過ごしていた頃のこと。

僕ら兄弟はときどき友達と朝はやくに待ち合わせをし、カブトムシとりをしていた。

近くのクヌギの木やナラの木っぽいものや、どんぐりの木みたいなもの。とにかく、樹液が出ていてカブトムシがよってきそうな木をくまなくまわって、あのカッコいい生き物をゲットしていた。

僕らにつかまるなんて、カブトムシにとっては災難である。かならず、エサにありつける単調な毎日の虫かごと、自由ではあるがカブトムシを食べようとする天敵の目を逃れながら、広い世界を飛んで樹液の出ている木を探し、ガールハントをし天敵の目を逃れるようハラハラどきどきのデートをして生きていくのではどちらがよいのかカブトムシの性格によるだろうが、飼育をきちんとできない僕につかまるのはあまりにもかわいそうだった。

そんなカブトムシ、勇気はいるがけっこういい捕獲ポイントがあった。

穴場といってしまえば穴場だが、日本昔話などのきょうれつな洗脳からお化けや幽霊がいることを信じていた僕はその場所、穴場にいくのは身が引ける思いがしていた。薄暗い時間のお墓というのは絶対に行きたくない場所のひとつだった。

お化けを信じない人と一緒に行くのは怖くはないが、お化けをなまじっか信じている人と行くのはきょうふが増幅されそうでこわかった。

そんなお墓だが、お盆の最後の日の次の朝にはカブトムシとりの穴場と化す。ももやスイカなどのお供え物がお盆の最後の日のおくり盆の日にお墓に盛りだくさんになる。そこにカブトムシが集まってくる。

それで、僕らは友達と早朝の薄暗い時間に待ち合わせをし、カブトムシの捕獲をもくろんだ。

友達は幽霊など、すこしも信じないタチだった。ざしきわらしのことを話しても、現実的で理にかなった話をして思いっきり否定するくらいだから、お墓についてきてもらうにはとても心強い。

だから、お墓は嫌だったけれど、その友達がいれば怖くはなかった。

あるとき、お墓のお供え物のあるところで、とつぜん友達がいなくなった。僕がこわがるから、おもしろがってどこかへいなくなったのは、すぐにわかった。でも、もんだいはそのあとだった。

あいつ、いなくなちゃったから帰ろうと弟と話し、お墓の坂道をあがっていったとき。弟がとつぜん、右側の林を指差して「なにあれ?」と言った。「うん?・・」とみてみると部分的にもやがある。

人の大きさくらいはしろっぽいもやがあったが、人型はしていなかった。

怖かったのは、ほかにもやがなく、そのもやだけがそこに煙のように存在していたことだった。

なんだろう?しばらくみていたら、こっちへ近づいてくる。

僕は怖くなり、「うわっ!!こっちへくる!!」と大きな声で言った。いちばん真っ先に逃げたはずだったのだが、なぜか弟の逃げ足が想像以上に速く、僕はすぐに追い抜かれ、弟が走りながら捨てた虫かごと、走りながら脱ぎ捨てた靴を拾い集めながら弟のあとを追うように家に逃げた。

あのもやから、逃げ切れたかどうかよりも、ショックだったのはあと一歩で家の中というセーフゾーンに入ろうかというとき、一生懸命に逃げてきた弟は兄をセーフゾーンに入れることなく、急いで勝手口のドアをしめ鍵をかけた。

ほんのちょっとの差だった。

僕は結果的に外に取り残され、家の鍵をもっている大人が養蚕の仕事からかえってくるのを待っているしかなかった。

大人が来て、家に入れたのは30分位してからだった。

家に入ると弟のことが心配になり、見に行くとかけ布団をかぶりまるくなって布団にもぐっていた。どうしたのか、布団をはごうとしてもすごいちからではぐことができなかった。

けっきょく、弟はそのまま寝てしまったようで、夕方になって泣きながら起きてきた。どんな夢を見てしまったのかわからないが、さんざんだったのは兄である僕だ。

家に入れず、もやがせまってくる恐怖を思い出しながら30分間も外にいたのだから。

大人はその恐怖の出来事を笑いながら聞いてくれたが、信じない人がいると結構、安心感なのであった。

信じないってだけなのに、そういう人がいるとそれ(お化けや幽霊)に対して絶対的に最強とさえ感じられるから安心だ。

今となっては、感じる人は感じる。感じない人は感じないと思っているがお化けや幽霊って、ほんとうは違うんだと体験的に思う。精神の状態や感情の波長によってみえるものがちがっていて、人によりおっかないものがみえてしまうようだけれど、自分の持っている概念やこういうものという思い込みみたいなものにビジョンが翻訳されている気がする。

霊的にこの本当の姿を言葉であらわすのはとても難しい。ある状態を擬人化するのはとても簡単なのだが本当のところを言うのはなかなかどうして表現が難しい。

by響摩そら
(Hibima Sora)

響摩そらの小説について。 



ほんとうに大切なものを教えてくれる
不思議で温かな物語

心を閉ざしていたコースケは
ハルカに連れられて高台の広葉樹のもとへ

秘密の箱
記憶
キーホルダー
目覚め

人生において大切なことは
人によって違うかもしれない
しかし、この、ささいでも大切なことが
奇跡を起こし人生に希望を与えるのだと
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著者プロフィール(響摩そら)
1978年02月26日生まれ、群馬県出身。
2歳半の頃、重度の肺炎を患い右耳の聴力を失い、左耳に残ったわずかな聴力を補聴器で補う。
聴覚のハンデを負いながらも、小、中、高と普通クラスに進学、卒業。
その後、農業専門校へ進むも中退。
心の病、ひきこもり、フリーターを経て職につくも、聴覚障害による業務などのコミュニケーションの壁にぶつかり挫折。
自分自身の進むべき道や障害を持つ者としての在り方を問うなか、あとりえBirdplanning.comを立ち上げ、のちにあとりえひびまそらと改名し今日に至る。

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